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自然公園へのご招待

国立・国定公園の指定の歩み

指定の変遷

国立・国定公園は、時代々々のニーズに応じた指定が行われてきた。各時代の審議会等による議論及び指定の歴史をまとめると以下のとおりとなる(図1 [PDF 32KB])。
 このような指定の流れは、時代と共にすぐれた自然の風景地としての風景評価が変化、多様化してきたことを表している。また、過去の指定の経緯を振り返ると、まず指定についての地元要望を踏まえる形で、審議会がその時代にあった選定の指針を策定した上で、候補地を検討し、さらに選定された複数の候補地を対象として指定の作業を進める方法がとられてきた。ここ30数年間はこのようなアプローチでの候補地選定はなされていないが、指定の大きな方向は生物多様性国家戦略の一環として検討されるようになってきた。

[1] 昭和初期〜昭和20年代前半


写真:雲仙天草国立公園(仁田峠のミヤマキリシマ)
[雲仙天草国立公園]

昭和6年に制定された国立公園法に基づく国立公園の選定は、大正年間に実施された候補地調査を引き継いで行われ、原始性の高い山岳の大風景地と伝統的風景観に基づく名勝地の双方を選定した。そして、昭和9年3月の雲仙(後に雲仙天草)、霧島(後に霧島屋久)、瀬戸内海の3国立公園の指定を皮切りに同年12月には大雪山、阿寒、日光、中部山岳、阿蘇(後に阿蘇くじゅう)が、更に昭和11年に十和田(後に十和田八幡平)、富士箱根(後に富士箱根伊豆)、大山(後に大山隠岐)が順次国立公園として指定され、第二次世界大戦前に12の国立公園が指定された。

また、戦時中には国民精神の涵養、鍛錬、体力向上(今日的言葉でいえば野外レクリエーション)の観点から、また、国土計画的視点で自然風景地の適正な配置を行うため、人口稠密な地域に国立公園を配置することが検討されていた。終戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導もあり、戦時中に検討されていた候補地がそのまま国立公園に指定された。昭和20年代前半に指定された伊勢志摩、支笏洞爺、上信越高原、秩父多摩(後に秩父多摩甲斐)、磐梯朝日がそれに当たる。

なお、昭和24年には、国立公園法が改正され、国立公園に準ずる公園として国定公園の制度が設けられ、昭和25年に佐渡弥彦(後に佐渡弥彦米山)、琵琶湖、耶馬日田英彦山が最初の国定公園として指定された。


[2] 昭和20年代後半〜30年代


写真:陸中海岸国立公園(浄土ヶ浜)
[陸中海岸国立公園]

昭和20年代末には、新たな国立・国定公園の候補地が選定された。海岸の風景を中心とする公園の選定や同一の風景型式中、代表する地区1箇所のみを国立公園とする厳選主義での取扱いについて検討され、新たな国立・国定公園候補地が選定された。この当時、将来的な国立公園数として20箇所を想定していたようであり、厳選主義により国立公園から漏れた地区は国定公園の候補地とされた。選定された候補地(海岸の風景が多い)は昭和30年より順次国立・国定公園に指定された(国立公園は西海、陸中海岸、白山、山陰海岸、国定公園は若狭湾、日南海岸など)。
 しかし、昭和30年代になると、国立公園の指定を強く望む地元の声に押され国立公園の厳選主義は事実上緩和され、既に国定公園に指定されていた地域や国定公園の候補地とされていた地域も、国立公園の拡張地域として国立公園に編入され、これに伴い公園の名称を変更する場合も出てきた(富士箱根伊豆国立公園、十和田八幡平国立公園、雲仙天草国立公園)。

写真:水郷筑波国定公園(筑波山)
[水郷筑波国定公園]

このような動きの中、昭和32年には、国立公園法が抜本的に改正され、自然公園法として生まれ変わった。これにより、自然公園は国立公園、国定公園、都道府県立自然公園の体系として整理された。
 同年、主として利用の面を考慮して大都市周辺に国定公園を選定する方針が示され、審議会で国定公園候補地が選定された。昭和33、34年に指定された金剛生駒(後の金剛生駒紀泉)、水郷(後の水郷筑波)などの国定公園である。
 この頃は地元からの指定要望が強く、昭和36〜37年にも、地元からの指定要望地域等を中心に国立・国定公園の候補地が審議会において検討された。国立公園の選定については、1風景型式1公園の原則が更に曖昧になる一方で、景観評価において、自然性の高い生態系の景観を尊重する傾向が生まれてきた。選定された候補地は昭和37年から40年にかけて順次指定された(国立公園は南アルプス、知床、国定公園は鳥海、八ヶ岳中信高原など)。


昭和40年代〜平成10年


写真:室生赤目青山国定公園(赤目四十八滝)
[室生赤目青山国定公園]

昭和40年代に入っても地元からの強い指定要望は続き、昭和42年にも審議会は新規の国定公園候補地、拡張候補地の選定を行っている(栗駒、鈴鹿など)。
 地元から次々と新たな公園の指定要望が続く中、昭和43年には、審議会において、国立公園の新規指定は厳格に行い、国定公園は、[1]自然保護に重きをおき配置を考慮せず指定する公園と、[2]利用性を重視して大都市周辺に配置する公園とに区分して候補地を選定する方針が決められた。また、当時国際的に推進されていた海域に保護地区を設定する方針が示され、昭和45年に海中公園地区制度が創設された。
 昭和44年、わが国初の長距離自然歩道として東海自然歩道の構想が発表された。この構想は、単に野外レクリエーション施策としての意味ばかりでなく、東海道メガロポリスの背後に緑の回廊を造るという自然環境の保全策でもあったため、昭和45年には長距離歩道の沿線に国定公園が指定され(揖斐関ヶ原養老、愛知高原、室生赤目青山など)、あるいは拡張された。

高度経済成長に伴い激化していた公害と自然環境破壊に対処するため、昭和46年には、環境庁が発足した。自然公園行政は厚生省から環境庁の所管に移り、従来、ともすれば観光地としてのステータスという位置付けが重んじられていた自然公園は、自然環境保全のための地域という保護地域としての性格を強めていくことになる。
 同年、自然公園選定要領が改正されたが、ここでは、評価対象の景観要素として地形、地被、自然現象、文化景観に加えて、野生動物が追加され、同時に、海中公園地区制度の創設を受けて海中動植物と海中地形を景観要素として評価することが明示された。また、国立・国定公園区域についての面積要件や一定の原始的な景観核心地域を有すること等の要件も追加されている。これらは高まりつつあった自然保護への国民的要望に対応したものと考えられる。

写真:西表石垣国立公園(川平湾)
[西表石垣国立公園]

この選定要領の改正を受け、同年、審議会は国立公園に移行すべき国定公園(利尻礼文サロベツ、足摺宇和海の国立公園)、新規の国立公園候補地(西表(後の西表石垣)、小笠原)、国立公園の拡張候補地として会津駒ヶ岳地域を選定した。また、新規の国定公園候補地(北九州、男鹿、越後三山只見など)を選定した。しかし、保護地域としての性格を強めていたこともあって、候補地となった後も指定のための調整が難航し、指定が遅れた国定公園もあった(九州中央山地、日高山脈襟裳)。

以降、体系的な国立・国定公園候補地の選定は行われていないが、自然環境保全の要請に応えて早池峰(昭和57年)、暑寒別天売焼尻(平成2年)が個別に国定公園に指定された。なお、昭和62年に釧路湿原国立公園が指定されたが、これは、従来は評価されてこなかった湿原の風景を、わが国を代表する自然の風景地として評価したもので、時代とともに変化、多様化しつつある風景評価を端的に現すものとして特筆される。


平成10年代〜

平成10年代に入ると、地方分権と行財政改革が進行(環境庁は環境省に昇格した)するなど自然公園を取りまく情勢は大きく変化してきた。また、平成14年に第二次生物多様性国家戦略が策定され、自然公園にも生物多様性の配慮、二次的自然の管理、動物の保護などが強く要請されるようになってきた。一方では、情報化、価値観の多様化を軸として急速に社会変化が進行してきた。
 国立・国定公園は、自然公園法の一部改正(生物多様性配慮の条文化など)などにより、このような情勢に対処してきたが、近年、その存在感が薄れてきているのではないか、また、存在感が薄れた状態では、多くの関係者の協働により行われてきた公園の管理・運営が十分行えなくなるのではないか、との危惧が強まってきた。
 このような中、平成19年3月、環境省が設けた「国立・国定公園の指定及び管理運営に関する検討会」は、次のような提言をまとめた。

指定に関して:
[1]「すぐれた自然の風景地」の評価の多様化への対応、具体的には照葉樹林、里地・里山、海域、湿地、特徴的な地形・地質・自然現象についての再評価、[2]名称、区域など国民の利用に視点に立った判りやすい国立・国定公園の指定、[3]国立公園と国定公園の役割の明確化、
管理運営に関して:
[1]公園の提供するサービスの明確化、[2]多様な主体の参画による計画策定と管理運営、など。

写真:尾瀬国立公園(尾瀬ヶ原)
[尾瀬国立公園]

この考え方に沿って、平成19年8月には、石垣島とその周辺海域が西表国立公園に編入され、名称も西表石垣国立公園と変更された。また、若狭湾国定公園の一部を分離し、新たに里地・里山環境を中心とした地域を加えて新たに丹後天橋立大江山国定公園が指定された。さらに、同月末には、日光国立公園の一部を形成していた尾瀬地域を日光国立公園から分離し、昭和46年に国立公園の拡張候補地とされていた会津駒ヶ岳、田代・帝釈山地域を加え、新たに尾瀬国立公園として指定された。


指定地域の現状と今後の展開

現在の国立・国定公園の指定状況を見ると、国立公園は29公園、その指定面積の合計は約209万haで、国土面積の5.5%を占める。また、国定公園は56公園、その指定面積の合計は約136万haで国土面積の3.6%を占める。(他の自然環境保全のための地域指定の制度と比べると、広大な面積が指定されている。)

国立・国定公園については、ここまで述べたように時代のニーズに応じて順次指定地域が拡大されてきた。特に、昭和30年代から40年代にかけては、観光に期待する地元の要望等を踏まえてその指定面積を大きく拡大してきたところであるが、近年は、自然環境保全の社会的要請に対して、大面積かつ重要な生態系地域を有する国立・国定公園がその役割を担ってきた。国立・国定公園が「わが国の生物多様性の屋台骨」と言われる所以である。

平成19年には、しばらくぶりに新規の国立・国定公園が指定され、大面積の拡張とそれに伴う公園の名称変更もあったが、これらはいずれも前記検討会の提言を踏まえたものであった。今後とも前記検討会の提言に沿った取り組みを強化していく必要がある。
 平成19年11月に閣議決定された第三次生物多様性国家戦略においても、国立・国定公園は、「わが国の生物多様性の屋台骨」と位置付けられ、これからの自然公園では生物多様性の配慮、特に、照葉樹林の保全、里地・里山の保全、海域の保全、湿地の保全の観点を重視した取り組みを行うべきとの方向性が示されている。